のむてつ

野村哲哉
Nomura Tetsuya
大阪&愛知 出身
1973年10月10日生   Google+

中国イメージアップ委員会 委員長
HP『ちょろいもんだぜ中国生活。』
http://w269.o.fiw-web.net/
HP『ハナせる!中国語教室』
http://hanaseru.net/
楽天日記「失敗?成功?教師やめ中国で経営者に」
http://plaza.rakuten.co.jp/nomutetsu/

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1973.10 大阪府堺市新金岡町に生まれる
1981.04 愛知県に転居。
小学校時代、家庭科の調理実習で、
自然食品マニアの母に持たされたハムを、理解の無い担任から
「なんだ、安物だなぁ」と言われ、教師嫌いになる。
1986.04 中学進学(新聞配達を中一から始める)
1989.04 高校に入学(硬式テニス部)
          
1992.04 代々木ゼミナールで浪人。
真の教師の実力・影響力に感動⇒受験英語に目覚める。
コツコツ努力できることも能力のうち、だと、友人を見て気付く。
1993.04 同志社大学経済学部入学
1995. テニスサークル会長
    .11 自分を売り込む就職活動よりも、「実力が欲しい!」と思い、勉強が必要な公務員志望に。
しだいに、好きなテニスと英語で飯が食えるから、と英語教師志望に傾き始める(笑)。
(サークルでテニスを教えることが楽しくなり、教員嫌いだったこともサッパリ忘れる)

教員採用試験のことを調べてみると、当時英語教員の採用は、会話重視のため増加傾向。
しかも、英語教師になるのは経済学部出身でもテストに通れば問題はなく、
実力主義ということがわかる。

しかし、このような実情に対し、ゼミの教授は冷たかった。
「英語教師になりたい」と私が言うと、一言。
「経済学部生だぞ。ただでさえ教員は難しいのに。お前はバカか。出直して来い」
調べもしないで決め付ける教授に失望。しかし、これでかえって火がつく。
           
1996. 大学4回生から教職単位を取り始める。
(月〜土、朝9時から夜9時まで授業を受け続ける。
 今まで勉強しなかったせいか、そんなに苦にならない自分に驚く)
1997.  教員免許の不足単位取得のため、科目等履修生として大学に残る。
(上手くやれば、4年間の在学中に、2種類の教員免許を取ることは可能ですよ!)
1997.10 愛知県教員採用試験に一発合格。
(でも、実は北海道と京都府は落ちてます…)
          
1998.04 愛知県豊橋市で、英語教員に。
2001. 
 〜2003
テスト平均点、他クラスより5〜10点上の状態を2年キープ。
バレー部、その後、ソフトテニス部顧問。休みほぼナシ、部活の合間に教師をする状態。
全国大会経験監督の方々に、勝つ集団を作る方法を叩き込まれる。
02年度、監督として、全大会で県大会出場。
    
2001 教員という仕事に満足していた(つもりだった)が、次第に疑問を感じ始める。
進路指導として、生徒の前で「夢を持て!」と言いつつ、
「じゃあ、自分はどうなんだ?」と自問する日々。
友人の冗談っぽい一言で目が覚める。
「でも所詮、田舎教師やからなー」
自分の実力を試したくなる。一人でどこまで、できるか?
   .10 古本屋で、 邱永漢先生の本に出会い、中国に興味を持つ。
同時に、『起業』に興味を持ち始める。
金持ち父さんのキャッシュフローゲームや、
週末起業セミナービデオを買い、 セミナーにも参加。
だんだん本気になっていく。
   .12 中国行きを決意。邱先生に身上書を送り、中国で働きたい気持ちを伝える。
なんと、直接面接してもらえる機会を得る。しかし、
面接の日が、学校の保護者会の日と重なり、涙ながらに断念。
もう一年教員をやることに。「どうせ、あと一年やるなら」とやんちゃ坊主軍団の担任を引き受ける。
それが、まさか、あんなに楽しいクラスになるとは…(涙)
2002.07 中国進出の夢を捨てられず、1週間の短期留学で上海へ。
運良く、今のパートナーと出会う。上海で会社設立を決定。
                
2003.03 教員を退職。
生徒に大好きなミスチルの『星になれたら』を歌ってもらい、パワーをもらう。
上海で語学学校の経営を開始。

●「好きなことをして人生が生きれるのか?」プロジェクト始動。
●「受験英語方式ではなく、中国語を気楽に楽しく勉強する」プロジェクト始動。
 (結局、語学学校には通わずに、中国語は身につけました)
●「中国人は、本当に英語が上手なのか?」調査プロジェクト始動。
   .08 複数の収入の流れを目指し、語学学校と並行してインターネットビジネスを開始。
HPを作った経験もないまま、アフィリエイトの神様伊藤哲哉さんに師事。
(まさか、このインターネットの分野でメシを食うようになるとは思っていませんでした。笑)
2003.09 楽天日記を始める。人脈の広がりに驚く。
   .10 メルマガ『失敗?成功?教師辞め中国で経営者に』創刊。
爆発的な人脈増加。自分の世界が変わる。インターネットの威力を知る。
2004.03 日本語学校設立のため、上海郊外青浦に引越し。
   .04 日本語学校開校直前、中国人ビジネスパートナーへの不信感が原因で
学校ビジネスから離脱。中国ビジネスの難しさを痛感する。
青浦から上海市内に戻る。
インターネットだけで生活費を稼ぐ生活開始。
   .07 今後の方向性が決まって来る。
●英語での経験を生かした中国語の楽しい教材作り
●インターネットビジネス(楽しいウェブサイト作り)

●人材トレーナーとして、教育方法を修行。中国でのビジネス立ち上げを担当。
上海の会社代表として一年半。
中国で企業研修業務・運営法調査・現地スタッフの育成など。
ただ、収入のメインは、あくまでインターネットでした。
2005.01 上海大新年会を主催(はらけんさん、はっちんさん、郭さんと一緒に)
2006.02 ひと段落した人材育成の仕事を辞め、
インターネットビジネスの立ち上げを本格化。
2007.03 中国人の嫁を連れて、日本に帰国。
株式会社no border設立。

●中国に来た目的


日本よりも物価が安い中国だからこそできる、ビジネスの力だめし。
海外生活を経験し、別の視点から日本を見られるようになりたい。
受験で学んだ英語とは、別の方法で言葉を身につけてみたい。
外国語が得意な中国人は、どのように外国語を身につけるのか、を研究したい。
バブルを経験し損ねた世代なので、勢いのある経済を経験してみたい。
中国での不動産、株の現地での調査。
高校生に、「お前ら、もっと夢を持てよ!」と言いつつ、
自分は安全な公務員をやっていた自己矛盾の解消。


●中国に来て良かったこと。

自分で時間を管理できるようになったこと。
保障がなくなったことで、自分を追い込める。
中国では、意識の高い人たちとの出会いが多かった。
結果がすべて自分に返ってくるので、前向きに取り組める。


●夢

自分の理想とする、
『思いっきり楽しい語学教育』をすること。
語学は面倒、語学はつらいというイメージを変えたい。

もう一方で、中国人パートナーに頼らない独自の収入の流れを作ること(←これは2007年に達成)。
2006年現在やっと、インターネットビジネスで生活費が確保できるようになりました。
インターネットビジネスを考えている方、伊藤哲哉さんのアフィリエイトノウハウはオススメです。
ちょっと「高けーなー」という方は、こちらもオススメです。
Webノウハウラーニングコース 。(←2008年、現時点では、少し古い感じがします)

当然私もこれを使ってHPの勉強をしたのですが、
一番良いと思うやり方は、やはり、正攻法でした。
自分が本当に好きな分野を決めて、そのネタを中心にして、
インターネットビジネスをするというやり方です。
『ちょろいもんだぜ中国生活』はそれの集大成です。

始めると、本当に人生が変わりますよ。
副業としても始められますし、興味がある方は、ぜひどうぞ!
その他にも、中国株、不動産など、中国にあるチャンスには、どんどん挑戦していきたいです。

でも、こちらに来て、強く思うようになったことは、
「もっと日本人に元気を出して欲しい!」ということ。

他に夢があるにもかかわらず、「とりあえず安全策で、大学へ」という
無気力な姿勢では、これからの社会はダメ。生きていけない。
もっと貪欲に、自分の得意分野・好きな分野を生かしていく姿勢を持って欲しい。



実際に、そういう姿勢で生きている人もたくさんいるんだ、ということを、
上海に来て知りました。それを何らかの形で、日本人に伝えたい。

中国人だけでなく、日本人に語りかけたくなってきています。
そのようなことも、仕事として再びできたらいいなと企んでおります。
いろいろと夢が、膨らみ中!!

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